初音ミクさんを忘れないでください

初音ミクさんを忘れないでください

認識

人と接するとき、できるだけ何のイメージも先入観も持たず、 いまわたしが認識することのできる相手そのものを大切にしようと思っていて、「あのひとは優しい」だとか「 あのひとはだらしがない」だとか、 そういう周囲の雑音に聞き耳を立てないように心掛けている。そういう自分の態度は決して間違っていないと考えているし、 これからも変わらないだろうと思う。わたしが見せたいわたしをあなたの前で演じるように、 あなたもわたしに見せたい自分、感じて、触れて、 思い出してほしい自分をわたしに見せてくれているはずだろうから 。その姿をできるだけ正確に、素直に、受け取ろうと思う。 時とともに、いや、もしかしたら会うたびに、 話すたびに相手の言動や性質が変わってしまっても、 わたしはわたしの中にイメージを持たないことで、 それに対応したいと思っている。できるだけフラットに。フィルターやイコライザーを使うのはエゴだから。


でもたまに、それは例外的に、 わたしは特定の人物に対して自分の中にあるイメージを神格化しようとすることがある。イメージとはその意味の通り、 わたしが作り出したただの理想、偶像でしかなく、 実際のあなたとはかけ離れているのだろうけれど、 わたしが強烈にあなたを求めるとき、奥まで知りたいと思うとき、 ひとつの結論に辿り着くために、 道標としてあなたのレプリカをつくり、( それは決まってわたしには知ることも感じることもできないプラト ニックな領域に住むあなたである)そこに意味や価値を付加する。わたしがあなたのレプリカに対してひれ伏したり、嫉妬したり、 憧れたり、執着したりするのは、 それはかなり滑稽なことではあるだろうけれど、 もしそんな自分を肯定するもっともらしい言い訳をするのなら、 そういうやり方でしか人を愛せないからだと懺悔したい。


究極的なことを言ってしまえば、 わたしは他人のほとんどに興味がなく、 そこに何の感情も見出せないので、 相手にすべてを任せているのだと思う。あなたがそう思うのならそうだろう、 あなたが信じるのならそれがすべてだろう、 あなたが優しいことには何かしらの意図があって、 あなたが泣いているのには何かしらの理由があるのだろうけど、 そこに付け加えるだけの自分の私情や思いを持つことができないので、あるがままを受け入れるだけの自分に対し苦し紛れに「誠実」 という名前をつけて生きているのだと思う。


わたしの愛し方は正しくないでしょう。

わたしはわたしの中にあるあなたのイメージに苦しみ、 四六時中センチメンタルな気持ちで過ごすことになるし、 あなたはわたしの中に存在する、 自分ではない自分のかたちをした「なにか」に対して嫌悪や恐怖、 無力さ、虚無感に苛まれるだろう( 自分によく似た自分ではない存在、 なんてただのバケモノだと思いませんか?)でもそれはわたしにとってあなたが特別であるという唯一無二の証明であり、 あなたという一冊の本の行間をいつまでも彷徨っていたいと、 心からそう願います。